壊れた悪魔




 硬い石の寝床で寝がえりをうち、くり抜かれた窓から光の無い暗闇を睨みつける。ただだんだんと、暗闇に沈んで行く世界。
 つい昨日までは光に溢れていた草原、きらきらと光を反射していた湖、雫を弾く草の葉。全て、闇に沈んだ。まるで、進行の早い病のようだ。
 生まれてきてから、どれほどの時が繰り返されてきたのだろうか。ただ呼吸を繰り返すだけの日々。何もない、面白味もない、暗闇の日々。ゆるい熱を帯びた空気は、考えるというただ一つ許された行為さえも奪って行く。
 暗闇をただぼうっと睨みつける。訪れる睡魔に、意識を預けようか。
 そんな時だった。
 暗い雲の間に見えた、一筋の光。否。それは、光を纏った少女の姿。
 背に、輝くほどの白い翼を背負った少女の姿に、自分でも驚くほどの素早さでその身を起こす。窓枠にかじりつくようにして、その光景を注視する。
 あれはおそらく、天使。この暗闇の世界からは最も離れた、対極に位置する存在。触れるだけでその双方が傷つくような、絶対に相容れない存在。
 けれど。

「……綺麗だな……」

 空から降りて来る天使は、その片方の翼に傷を負っているようだった。必死に羽ばたきながらも、その身はただ暗闇の中に落ちていくばかり。
 ふと、天使を見ていたはずの視界に、黒いものが映る。必死な天使をからかうように、その周囲を飛び回る同胞。女の悪魔。
 その瞬間、止まっていた思考が動き出し、悟った。
 あの麗しい天使は、あの女の悪魔に傷つけられ、堕とされたのだ。美しい、光の都から。
 救いたい、と思った。あの少女を。あの麗しい少女を。
 触れれば、傷つけるかもしれない。傷つくかもしれない。けれど、それでも。

「……ボクにはない、光を纏ったキミを助けられたら……」

 ボクにも光は宿るだろうか。
 悪魔という醜悪な身の上で。光を嫌い、光に嫌われる身体で。
 それでも尚、光に憧れる。
 そしてそれ以上に、きっとあの少女を助けたいだけなのかもしれない。理由をつけて、正当化して、悪魔の身で、天使の少女に触れたいだけなのかもしれない。
 暗闇の中、悪魔にはもったいないほどの希望をもたらした一筋の光。暗闇に狂わされ、壊された悪魔でも、一瞬でその眩しさの虜になった。

「救わせてくれないだろうか……」

 この身が傷つこうと、あの麗しい少女が救えるのならば、他に何もいらない。
 暗闇に壊れた瞳が、意思と言う名の光を放つ。

「この声が、届かなくても……」

 この暗闇の世界で、自分だけは絶対に味方でいるから。
 かじりついていた窓枠から身を起こし、蝙蝠のような皮膜の羽を広げる。ばさり、という音を立てるその翼の色は、やはり黒。……だったはずなのに。

「……紅い……羽……」

 光を取り戻した瞳が捕えた、血のように紅い自らの羽。
 再び音を立て、くり抜かれた窓から空へと舞い上がる。あの天使の少女を救うために。
 暗闇しかなかった世界に一筋の光。ただそれだけの光で、世界は極彩色に輝いて見えた。




2012/08/27