2.夏空の下




 じりじりと、まるで何かを解かすように太陽は地上を焦がす。頭のてっぺんから解けるような感覚が、庭で花に水をやっていたカナメにはあった。
 なんで花に水やってるんだろう。むしろ自分が頭から被りたいんだけど。
 長いホースをくい、と引けば、ズルズルと後をついてくる。ホースの先を抑え、出来るだけ遠くに水を飛ばそうと試みる。
 これほど暑いのだ。汗をかいて動くことなく仕事を終えようというのは当然の考えであろう。
 瓶覗色の瞳を閉じ、自分の言い分にうんうんと頷いていたカナメはしかし、自分の背後にあった大きな窓が開いたのには驚いた。冷房の冷気が部屋を抜け出し、カナメの足をくすぐった。

「な、何をしておるのじゃ、ツクヨ姉上!冷気が逃げておる!」

 いつの時代?というような古めかしい口調で、カナメは窓を開け放った自らの姉を注意した。昔からどこか抜けている姉であったので、注意することにすら慣れてしまっている。
 開いた窓から空を見ていたツクヨは、非難の言葉をかけたカナメへと目を移した。その目には、驚きの色。

「え?どうしました?メーちゃん。何か問題でも…」
「あるに決まっておるわ!冷気が逃げるであろ!はよう窓をしめい!」

 両親が朝早くから夜遅くまでいないこの家を取り仕切るのは、すでにカナメの役目になりつつある。電気代が!
 だが当のツクヨは困ったように笑った。

「落ち着くですー、メーちゃん。さっきクーラーが残念な音をたてて止まっちゃいました。閉めっ放しだと私もヒーちゃんも煮えちゃいますー」

 それにしても暑いですねー、という姉の呟きなど、すでにカナメの耳には入らない。クーラーが壊れた、だと?

「……カナメ、オレも流石に閉めっ放しはまずいと思うぜ?……とゆーか、新しいクーラーないと死ぬから……これは。あれだ。茹でだこになる」

 ツクヨの後ろからのそのそと顔を出したのは、鶸萌黄色の長い髪を頭の後ろで束ねたカナメの双子の妹、ヒワノであった。カナメが花柄のワンピース、ツクヨが薄い水色の丈の長いTシャツにショートパンツという格好なのに対して、ヒワノは黒いTシャツにジーンズという男っぽい服装。服装には性格が良く出るものだとカナメは改めて思った。茹でだこよろしくヒワノの顔は真っ赤である。

「……しかし、今すぐにクーラーを買う、というお金がどこにあると言うのじゃ。父上と母上は海外へ出張中……。せめて二人が帰ってきて、明日電気屋に行くくらいじゃろう。……今日のところはどうすれば良いかのう……」

 水やりさえ終えれば、涼しいところに逃げ込める。その一心で、必死に水を飛ばしていたというのに。
 このままでは、動き損ではないか。

「……叩いたら直るのではないか?」

 ボソッ、と言えばツクヨの後ろにいたヒワノがふっとやさぐれたように笑った。右手で握り拳をつくり、左の手の平にぶつける。

「もう何発殴ったことか……」

 変形しなかったのが奇跡かもしれない。

「とりあえず、どこかに避難しませんか?お店とか、図書館とか……あ!」

 クーラーが利いていてなおかつ金のかからないところを考えながら、ツクヨは避難場所をあげていく。
 何か思いように言葉を切ったツクヨは、にっこりと微笑むと、二人の妹たちの顔を見遣った。

「……お隣りさんの家に行きませんか?」

 満場一致の決定だった。


ωωω


 ピンポーン、と玄関のチャイムが鳴った。そろそろ昼食時だからと自らの部屋から降りてきたヤミルは、ダイニングに向けていた足をくるりと反転させた。

「はいはーい。ちょっと待ってくださーい」

 ヤミルの、月之宮家の住宅は、実はこの界隈で最も大きい。両親が仕事の都合上、世界各国を回っているため、現在家にいるのはヤミルと弟のヤムル、そして一番下の妹のノノだけなので使っている部屋は三つのみ。だがこの家には他に空いた部屋が十近くある。しかもその一つ一つが、六畳から八畳あるという異常な大きさであった。昔、宿屋をやっていたとかなんとか。
 そのため、とでも言うか、客が来たと分かって玄関に出るまでが案外……長い。
 待てずに帰る者も出る始末である。
 やっとのことで玄関にたどり着いたヤミルはこれもまた大きな玄関扉の鍵を開け、扉を開いた、ら。

「おっせーよ!バカヤミ兄!」

 殴られた。
 聞こえてくるのは少女の声だというのに、思った以上に痛く、殴られた頭を抑える。

「イッてぇ!何する……」

 じんじんする頭をさすりながら視線を上げれば、隣の家に住む幼なじみの三姉妹の末っ子と目が合った。おそらく、いや間違いなく自分を殴った張本人である。

「ヒワノ……お前、もう少し女っぽく振る舞ってもいいんじゃねぇか?」

 確か彼女は今、中学二年生。もうすぐ十四歳にもなるはずだ。
 まじまじと鶸萌黄色の目を見遣れば、後ろにいた彼女の二人の姉が笑っていた。まあ、双子の姉の方は目が笑っていなかったが。

「ヤミル兄上。妾たちの家のクーラーが壊れてしもうたゆえ、今日一日、避難させてもらうぞ。はようどけ。妾は暑い」
「……は?いや、クーラーが壊れたって……家のクーラー全部が?一気に?」
「違う。リビングのクーラーだけじゃ。全部がいっぺんに壊れるなど、どれだけすごい偶然じゃ。そこまで日頃の行いは悪うないわ」

 瓶覗色の前髪と黒の腰まではありそうな後ろ髪の少女は堂々と言い放つ。その態度に臆すればまるでその通りとも言いたくなるが、よくよく考えればそうでもない。リビングのクーラーが壊れたなら、他のクーラーのある部屋に行けば良いだけではないか。なぜ人の家に避難する必要があるのだ。という問いは、口に出そうとしてやめた。
 隣とはいえ暑い中ここまで来たのだ。日の下に逆戻りはしないだろう。

「はぁ。今日だけだぞ。ほら、あがれ」
「やった!意外に話が分かるじゃねぇか、ヤミ兄!」
「ほれヒワノ、早々に中に入らせてもらおう。ノノもおるのであろう?妾はノノの元へ行くかの」

 双子はそれぞれ捲し立てながら、さっさとダイニングの方へと向かって行った。幼馴染でお隣さんとなれば、行き来も多い。どこが一番涼しい場所か、分からない彼女らではなかった。
 呆れたように双子を見送っていたら、くすりと笑う声がしてそちらを見遣る。
 ツクヨはどこか、楽しそうだった。

「ルーくんでもメーちゃんとヒーちゃんには振り回されるのですねー。さすが私の妹たちですー」
「……はあ、もうちっとお前に似ていれば、マシなんだけどなー。ホント」

 ツクヨの言葉に、ふうと息を吐く。彼女の二人の妹は、容姿はそれなりに可愛らしいのに、性格が完全にそれを無意味なものと変えていた。決して性格が悪い、というわけではないのだ。
 言うなれば、極度の変わり者なのである。二人とも。
 くすくすと笑う二人の姉もまた、ほんの少し変ってはいたけれど。

「あ、そういえば今ムーくんはいらっしゃいますかー?」

 ふと、笑いを止めたツクヨは思い出したように言った。ヤミルが首を縦に振れば、彼女はまるで花のように柔らかく微笑んだ。
 手に持っていた紙袋を、ヤミルに見せる。

「この間の、7月31日、ムーくんの誕生日だったでしょう?遅くなってしまいましたが、これを渡そうかと思いましてー」

 袋からは、甘い香りがする。焼き菓子か何かだろう。
 ほんの少しずるいな、と思いながらも、ヤミルはにっこりと笑って見せた。

「ああ、アイツも喜ぶぞ。きっと」

 彼女が自分の恋人であることは、間違いようもなかったから。






2011/08/14