4.幸せの終焉




 十月八日は、ツクヨの誕生日だった。ツクヨ自身、そのことをすっかり忘れていたので、気付いたのは八日の朝、恋人である赤い髪の男が誕生日プレゼントをくれてから、だったが。

「ツクヨ、和服とか好きか?」

 そう言って差し出されたのは、綺麗な紫色の、藤の花をあしらった簪。とても嬉しくて、けれど何故急にくれるのかが分からなかったから、真面目な顔で訊ねた。
 ヤミルは一瞬、驚いたような顔をしたあと、面白そうに笑っていた。
 一方、ツクヨはツクヨで悩んでいた。近づいている恋人の誕生日、十月十五日。髪染め以外に何をプレゼントすれば良いのか。
 けれど彼からのプレゼントを見てふと思いつく。
 浴衣……は流石に無理だが、その帯くらいなら作れるのではないだろうか、と。ヤミルはその雰囲気からは想像できないが、実は普段から私服として着物を着ているのだ。
 思い立ったら吉日。ツクヨは早速、帯について調べ、その材料を買い求めると、自分を祝うために妹たちが買ってきたケーキをもったいない程の速さで完食し、部屋に戻った。縫い物は得意だが、何せ時間が限られている。黒い布地を広げ、黒い糸を針に通し、ちくちくと作業を進める。十五日に間に合うのだろうか、とは少しも思わなかった。間に合わせる、という気持ちの方が断然強かったから。

「ツクヨ姉上もよくやるのう。恋人というもののためには、そこまでせねばならぬということかの」
「オレがもし誰かと付き合っても、そこまではできねぇな……。ま、付き合う気もねぇけどさ」

 休みもろくに取らないツクヨを心配してか、双子の妹たちは代わる代わるに様子を見に来た。
 放っておけば、食事すら忘れる可能性があると二人は言うが、流石にそれは無理だ。そう二人に返せば、呆れた言葉が返ってきた。

「そんなこと言って、最近は弁当に全く手をつけてねぇだろ。昼飯も摂らずによくやるよな」
「朝ご飯も晩ご飯も口にするのは少量。それも、妾たちが何度も部屋に呼びに来た末のことじゃ。それでよう、食事は忘れぬなどと言えたものじゃな」

 返す言葉も見つからず、ツクヨは空笑いをするに留めた。
 そのように食事を摂っていたとは気付かなかった。自分でいつも通りに食事を摂っているのだと思っていた。だがそれを言えば更に呆れた顔を向けられることが分かり切っていたので、ツクヨは軽く笑って目をそらした。


ωωω


 明日が、十五日。
 本当はもうすでに終わっていた縫い物。けれど、ただ黒いだけの帯というのも、と思ったことが失敗だったのかもしれない。
 ツクヨは今、黒く細長い帯に薄い紫色で刺繍をしていた。ちくちく、ちくちくと。だがそれも、完成まであと少し。そう思ったのだが。

「……嘘。糸が足りないですー……!」

 いくつか買い置きしていた分も、すでに見当たらない。いつの間にか、使い切ってしまったようだ。
 ツクヨはその場で動きを止めた。
 ここから糸を売っている手芸店まではそう遠くない。加えて、ここ数日行き来することが多かったためか、道もとりあえず迷わないようになった。昨日もツクヨは一人でその手芸店にラッピング用の袋とリボンを買いに行ったから間違いない。

「……昨日のうちに糸も確認しとけば良かったですー……」

 昨日の自分を恨めしく思いながら、ツクヨは手早く用意を済ませる。
 部屋から出て、カナメとヒワノに、出かけると一言かけようとしたが、ふと思い出す。二人はまだ部活から帰っていないはずだ。カナメは書道部、ヒワノはテニス部に入っており、金曜日は次の日が休みということもあって遅くまで部活がある。ちなみに今日もまた、ツクヨはヤミルに学校まで迎えに来てもらった。
 もし自分がいない間に二人が帰ってきたら心配をかけてしまうので、簡単な書き置きをダイニングのテーブルの上に置く。
 季節は秋。その上雨まで降っている。
 ツクヨは寒くないよう薄手のカーディガンを羽織り、傘をさして家を出た。思った以上に雨風が強い。

「……これは早く買って帰った方が良いようですねー」

 手芸店に行き、目的の糸を購入する。薄い紫色の糸、といっても種類がたくさんあった。今まで使っていた糸がどの種類か忘れてしまっていたので、ツクヨは似た色の糸を五個ほど買うはめになった。

「……本当に間抜けすぎますー……」

 気落ちし、俯きながら家路につく。雨は先ほどよりも更に強くなっており、日が傾いたのか薄暗さも一段と増していた。

「多分この中のどれかであっていると思うのですが……」

 間違っていたら、もう一度店に走らなければならない。太陽が射さない薄暗い中で、ツクヨは左手にさげたビニール袋から代わる代わる糸を取り出しては睨むようにして見る。
 どれもこれも、同じような、違うような気がする。
 と、手にしていた糸をビニール袋にいれようとした時だ。

「あっ!」

 取っ手の部分に弾かれた糸は、雨に濡れたアスファルトの上に落ちた。幸い、刺繍糸は毛玉や普通の意図のように丸いわけではないので、転がっていく心配も無かった。慌ててその場にしゃがみ込み、雨でぐしょぐしょになってしまった糸を手にする。

「帰ったら急いで乾かせばいいですねー」

 ほっとしたような声をあげ、糸を持って立ち上がった、その時だった。
 びーっ!という大きな音と、それと共に発せられる、きーっ!という甲高い音。
 振り返った時に見えたのは、雨の薄暗さなど感じさせないほどの強い光。

『ツクヨ!』

 そう言って笑う紅い髪の彼氏の姿が、見えた気がした。






2011/10/14