6.夢の中へ




 それはあまりにも現実に近いような、それでいて遠すぎる夢だった。

「……今……のは……?」

 目を開いた瞬間、ヒワノは荒い呼吸と共に呟いた。
 朝というにはあまりにも暗い部屋の中、ただ自分の息遣いと枕元にある時計の秒針が奏でる音だけが大きく響き渡る。
 本当に、あれは夢だったのだろうか?
 頭の中で反芻されるのは、たった今まで見ていた夢の内容。ヒワノは落ち着こうと、ゆっくりと目を閉じた。
 先ほど、自分でもいつ眠ったのか分からない、そんな普通の眠りについたヒワノは、眠りの中で目を覚ました。自分でも理解できないのだが、確かにそう感じたのだ。
 真っ暗な闇の中で、ヒワノは最初、ただ辺りを見回していた。あまりに真っ暗で、何も、自分の身体さえも見えなかった。何一つ見えない闇。次第に怖くなり、目を閉じようとしたヒワノは、何かの音が聞こえた気がして再びかっと目を開いた。
 誰か、いるのか?
 そう言おうと口を開いたはずなのに、声は少しも出ることはなく、声帯は空気を震わせることもなかった。

「……ヒーちゃ……ヒ……ヒワノちゃ……」

 聞いていて、それが人の声なのだと知る。途切れがちに聞こえる声は、どうやら自分を呼んでいるようだった。必死に、そしてどこか、懐かしいような、そんな声。

「ヒーちゃん!」

 はっきりと聞こえた声には、確かに聞き覚えがあった。忘れるはずもない、声。ヒワノは目頭が熱くなるのをこらえながら、じっと声のする方を見やった。
 先の青い、真っ白の長髪。藍色の、瞳。まるで蒼い月のように、闇の中で輝きを放つその姿。

「……ツクヨ……姉……」

 闇の中で確かに、自分の声を聞いた。
 久方ぶりに会う姉は、生きていた頃と何も変わらず、ただ、笑っていた。


ωωω



「夢の中で、ツクヨ姉上と会った、じゃと?」

 同じ年、同じ時に生まれた双子の姉は、古めかしい言葉遣いをそのままに、奇妙なものを見るような目でヒワノを見ていた。
 それもそうだろう。自分も誰かがこのようなことを言い出せば、このような顔になるに違いないのだから。
 だがしかし、会ってしまったものは仕方がない。
 リビングのソファに二人で腰掛、ヒワノは天井を、カナメは床をそれぞれ見つめていた。

「オレも信じらんねぇんだけど、確かに会ったんだ。……いつも通りの、ツクヨ姉だったよ」

 笑い、冗談を言い、そしてヒワノやカナメ、隣の幼馴染たちのことを心配していた。
 もちろん、同い年の恋人のことも。

「ヤミル兄には、自分のことを忘れて欲しいんだとさ……。自分は幸せだったから、ヤミル兄がこれから他の子を同じように幸せにしていく姿を見たいって言ってた。……だから会えなくて、オレの夢に出てきたんだとさ」

 いつもいつも、自分のことより他人の幸せを考えていた姉。そんな姉がわがままを言うのは、彼女の恋人に対してだけだった。彼の優しさを知るからこそ、その優しさで誰かを幸せにして欲しいと、言っていた。
 自分の代わりではなく、彼自身にとってかけがえのない誰かを。
 そのために、自分は必要ないのだと、悲しげな表情で言う姉に、ヒワノは何も言えなかった。

「……なぜ、妾の夢ではなかったのじゃ……」
「……?カナメ?」

 ぽつり、と言ったカナメの言葉の意味が分からず、ヒワノは問い返す。
 カナメの目には、悲しみが色濃く宿っていた。

「ヒワノは妾の妹じゃ。妾が姉じゃ……。それなのに、妾はそれほどまでに、頼りなかったというのか……!」
「!違うよ、カナメ!」

 やっとカナメの言い分が理解できたヒワノは、慌てて声をあげる。
 そのことに関しては、ヒワノ自身も不思議に思い、ツクヨに聞いたのだ。
 すると夢の中で、ツクヨは困ったように笑いながら、後ろを振り返った。ヒワノは気付かなかったが、そこには人影があった。真っ黒な肩まで流れた髪に、左胸に白い薔薇の花を挿した黒いマント、風月華のような尖った耳に、すらりと高い身長。けれど一度目にしてからは、今度は目を逸らせなくなった。その端正で美しい人形のような顔は、恐ろしいほど白く、妖艶な雰囲気を醸し出していた。

「その綺麗な人はツクヨ姉を夢の中に連れてきてくれた人らしいんだけど、カナメの夢に入ろうとしたら、『波長が合わない』とか言って嫌がったみたいなんだ。だからオレの夢の中に入ったらしいぜ?」
「……波長が合わない……。ならば姉上は、始めは妾の元へ……。はは……。すまぬな、ヒワノ……妾もまだ……」

 本調子ではないようだ。
 そう言う同い年の姉の気持ちが分からないヒワノではなかった。いつもの彼女は、このように神経質な性格ではないのだから。

「……少し気になっておるのじゃが……。妾が昔聞いた話では、死んだ者は夢に出てきても話すことはないらしいぞ?……その夢は、本当にただの夢だったのではないか?」

 少し落ち着いたらしいカナメが言うことは、ヒワノも昔聞いたことがある話しだった。
 けれど、それに対してもまた、答えがあった。それはあまり喜べることではなく、ヒワノは視線を床にやり、一度口をつぐんだが、意を決してカナメに向き直った。

「あのな、……さっき言った綺麗な人、さ……背中に羽が生えてたんだ。……真っ黒い、鳥の羽が、さ」
「……黒い、翼……じゃと?」
「オレ、それについてもツクヨ姉に聞いたんだよ。そしたらツクヨ姉さ、笑って言ったんだ」

 夢で誰かに会い、話すことが出来る代わりに、天の国へ行く権利を失い、冥界へと堕ちることになったのだ、と。後ろでクスクスと笑っていた美しい男の正体は、天から堕とされた堕天使だったのだ。

「何でそんなことをしたのかって聞いたら、ツクヨ姉は笑って言ったよ。……最期のお別れも言えないまま天の国になんて言ったら、後悔のし通しでどのみちすぐに堕ちるのだろうから、後でも先でも一緒なのだ、ってさ」

 だからどうせなら、自分の悲しみが少ないほうを選んだのだ、と。結局は自分の我が儘だから、何も気にすることはない、と。
 どこかツクヨらしい言葉に、ヒワノは微笑みすら浮かべてしまった。
 きっと自分でも、同じ事をすると分かっていたから。
 ふふ、と笑う声がして、ヒワノはカナメを見た。彼女もまた、同じ事を考えていたのだろう。自分たちは双子で、もっとも近しい存在なのだから。

「……ならば、妾たちもしっかりせねばなるまいのう。姉上ばかりに心配をかけていては、心苦しいものじゃからな」
「ああ、そうだよな。ツクヨ姉にこれ以上心配かけちまったら、冥界からゾンビかなんかになって戻ってきそうで怖いしな!」
「同感じゃ」

 二人して笑いあえば、今まで胸の中に詰まっていたものが、柔らかく解けていく気がした。






2011/12/14