精霊王と偽りの娘


 プロローグ



 あの重くて苦しい雨のことを、今でもはっきりと覚えている。身に触れる液体が、天からの恵みなのかそれとも、この命を奪おうとする残酷な罰なのか。そんなことを考えながら、草原に横たわっていた。真っ赤に染まる、草原に。
 一つ目の世界で最初の命が潰(つい)えた時に、心にあったのは暗い暗い、憎しみの渦だけ。私の大切な物を奪っていく、全ての者たちに向けた憎しみ。
 二つ目の世界で、その暗すぎる、大きすぎる憎しみは、私に二つ目の命をくれた。憎しみにまみれた、二つ目の命。その命を使って、私はその憎しみを晴らした。たくさんの者を消し、たくさんの憎しみを作った。
 けれどもやはり、その二つ目の命も終わりを迎えようとしていた。
 二つ目の命が潰えようとした時、私は二つ目の世界から、最初の世界に戻っていた。命からがら、逃げるように。
 思い出を追ったのか、ただ足が動いたのか。
 止めどなく降り続く雨の中、流れ出る血が大地を赤く染めていた。慣れ親しんだ甘く狂うような鉄錆の臭い。それも鼻が覚え込んでしまい、いつしか分からなくなった。草や雨の香りもまた、同様に。
 とくん、と随分か弱くなった鼓動。一つ一つそれが重なる度に、自らの命が削れていくのが分かる。
 死ぬのだ、自分は。
 それはただ、漠然と理解した事実。一つ目の命が枯れる時に胸にあったような激しい感情など、もうどこにも存在していなかった。
 おそらくは、これが最後。三つ目の命がこの心に宿ることは、ない。
 二つ目の命、そして自分の心もまた、潰える時がきた。
 そう確信を持って、ゆっくりと目を閉じた時だ。
 春の華の香りを嗅いだのは。











2012/08/27